東京地方裁判所 昭和51年(レ)154号 判決 1978年5月29日
控訴人 亡山崎あい子 外一名
被控訴人 小澤富美子
主文
一 原判決を取消す。
二 被控訴人の従来の各請求及び当審で拡張された請求をいずれも棄却する。
三 訴訟費用は第一、二審を通じて全部被控訴人の負担とする。
事実
第一当事者の求めた裁判
一 控訴人ら
主文同旨
二 被控訴人
1 本件控訴を棄却する。
2 当審における請求の拡張に基づき、原判決第一項を次のとおり変更する。
控訴人らは被控訴人に対し、別紙目録記載の二の建物部分を明渡し、かつ、連帯して、昭和四四年二月一日から昭和五一年一二月三一日まで一か月金一五、〇〇〇円の、昭和五二年一月一日から右明渡済みに至るまで一か月金四八、〇〇〇円の各割合による金員を支払え。
3 控訴費用は控訴人らの負担とする。
4 原判決第一項中建物明渡を命ずる部分及び当審にて拡張した金員の支払を命ずる部分につき仮執行宣言申立。
第二当事者の主張
一 被控訴人の請求原因
(主位的第一次請求)
1 被控訴人は別紙目録記載の一の建物(以下「本件建物」という。)を所有している。すなわち、
(一)(1) 被控訴人の亡父訴外小澤亀蔵(以下「亀蔵」という。)は昭和二二年ころ、当時借地であつた別紙目録記載の一の土地(以下「本件土地」という。)上に存した同人所有の建物を取り壊して、その跡地の公道に面した東側に六畳の店舗、次いで八畳の部屋、その西側に六畳の洗場から成る一〇坪の建物を古材を使用して建築し、更に、昭和二五年ころには、右建物の西側に四畳半と三畳の二部屋を増築して一棟の本件建物とした。
(2) 仮に、亀蔵が建築した建物に訴外亡渡邊庄吉(以下「庄吉」という。)が昭和二八年ころ一部増築したとしても、右増築部分は実質上別個独立の存在を有せず、既存建物の構成部分となつているのであるから、附合により、亀蔵がその部分についても所有権を取得した。
(二) 亀蔵は昭和三〇年一〇月一二日死亡し、その妻である訴外小澤はつ、子である被控訴人が亀蔵を相続し、右共同相続人間の遺産分割協議により被控訴人が本件建物の所有権を取得し、昭和三八年八月六日、本件建物につき所有権保存登記を了した。
2 控訴人らはともに昭和四四年二月一日以前から別紙目録記載の二の建物部分(以下「本件建物部分」という。)を占有している。
3 本件建物部分の昭和四四年二月一日当時の相当賃料額は一か月当り金一五、〇〇〇円である。
4 被控訴人は夫小澤孝三と長男の三人で本件建物の西側四畳半と三畳の二部屋で生活していたが、同部分は一家の居住には狭隘に過ぎ、また、後記のとおり朽廃し、かつ、著しく不潔であるうえ、大小のねずみが家屋内に繁殖、横行して不衛生このうえない状態であつて、安心して住めなくなつたため、控訴人ら居住部分の明渡を得られないままに、やむなく昭和五一年一二月一六日、被控訴人の家族は一時的に被控訴人の肩書住所地所在のアパートの四畳半と四畳の部屋を借りて避難した。被控訴人が右アパートに移転以降支払つている一か月金三三、〇〇〇円の賃料は控訴人らの不法占拠に因り被控訴人の蒙むつている損害であり、控訴人らは右情況から被控訴人の家族らが居住に耐えられなくなつて避難せざるを得ないことを認識又は予見していたものであるから、右損害をも賠償する責任がある。
5 よつて、被控訴人は控訴人らに対し、本件建物の所有権に基づき、本件建物部分明渡及び連帯して、昭和四四年二月一日から昭和五一年一二月三一日まで一か月金一五、〇〇〇円の割合による賃料相当損害金の支払並びに昭和五二年一月一日から右明渡済みに至るまで一か月金四八、〇〇〇円の割合による賃料相当及び特別事情による各損害金の支払を求める。
(予備的第二次請求)
仮に、控訴人らが本件建物部分を所有しているとすれば、被控訴人は予備的に次のとおり主張する。
6 亀蔵は本件土地を所有していたが、昭和三〇年一〇月一二日死亡し、訴外小澤はつ及び被控訴人が亀蔵を相続し、次いで、右はつも昭和三五年四月五日死亡したため、被控訴人が相続によりその権利義務一切を承継し、本件土地所有権を取得して、昭和三八年八月六日、本件土地につき、右相続を原因として所有権移転登記を了した。
7 控訴人らは本件建物部分を共有し、別紙目録記載の二の土地(以下「本件土地部分」という。)を占有している。
8 本件土地部分の昭和四八年四月一日当時の相当賃料額は一か月当たり金六、八八四円である。
9 よつて、被控訴人は控訴人らに対し、本件土地の所有権に基づき、本件建物部分を収去して本件土地部分を明渡すとともに、連帯して、昭和四八年四月一日から右明渡済みに至るまで一か月金六、八八四円の割合による賃料相当損害金を支払うよう求める。
(予備的第三次請求)
仮に、控訴人らが本件建物部分を共有していないとすれば、被控訴人は予備的に次のとおり主張する。
10 控訴人らは本件土地部分上にある本件建物部分を使用し、本件土地部分を占有している。
11 よつて、被控訴人は控訴人らに対し、本件土地所有権に基づき、本件建物部分から退去して本件土地部分を明渡すより求める。
二 請求原因に対する控訴人らの認否
1 請求原因1(一)(1) 及び(2) の事実のうち、亀蔵が昭和二二年ころ本件土地上に古材を使用して建物を建てたこと、庄吉が昭和二八年ころ右建物の一部増築したことは認め、その余の事実は否認する。同1(二)の事実のうち、亀蔵が死亡したこと、訴外小澤はつがその妻、被控訴人がその子であることは認める。
本件建物部分は被控訴人の所有ではなく、控訴人らの所有である。すなわち、
(一) 亀蔵は昭和二二年ころ、古材を使用して本件土地上に、間取りが東側から板間(約二・五坪)、廊下状板敷(一坪)、八畳間、叩き及び板敷の出入口部分(一・五坪)、押入・便所となつている建坪約九・七五坪の建物(以下「旧建物」という。)を建て、妻と共に居住していたが、昭和二七、八年ころ、庄吉は、亀蔵から本件土地を一か月の賃料三、〇〇〇円で賃借し、同地上に増改築する建物は庄吉の所有とし、その一部に亀蔵らを居住させるとの約で、右旧建物につき二回に分けて増改築工事を行ない、第一次工事では旧建物の東側板間(約二・五坪)を広さ四坪の店舗とするため、古い柱はとりかえ又は補強し、梁の補強もするなどの増改築工事を行ない、旧建物の残存部分は八畳間、板間、出入口など七・二五坪となり、更に、およそ一年後になされた第二次工事では、旧建物の西側の出入口部分、押入及び便所二・二五坪が改築され、新たに、三・五坪の仕事場四畳半の部屋、合計一・七五坪の板間・押入・便所・玄関がつくられた。右各工事の結果、旧建物の残存部分は一坪の板敷と八畳間のわずか五坪であつて、庄吉が増改築した部分はその二倍以上の一一・五坪であり、残存の八畳間部分も、屋根、柱、土台に大修繕が加えられて新建物の一部となつているから、庄吉のした増改築は実質的全面改築というべきであつて、その所有権は庄吉が増改築した本件建物部分は庄吉の所有とする合意が認められないとしても、庄吉に属するというべきである。
なお、本件建物のうち西端の三畳の部屋は、昭和三八年ころ被控訴人が増築したものである。
(二) 仮に、庄吉のなした増改築工事が実質的全面改築といえないとしても、第一次工事により東側に新しく建てられた四坪の店舗と西側の八畳間を中心とした旧建物部分とはそれぞれ独立の出入口をもち、かつ独立の使用が可能であるから、右新店舗部分は独立の建物として旧建物部分には附合しないものというべきであり、次いで、第二次工事により旧建物の残存部分たる八畳間もそれだけ独立して使用することは不可能となり、第一次工事による新店舗部分又は第二次工事部分のいずれかと一体となつて初めて建物として使用可能といえるものであつて、右二回の工事で増改築された部分は旧建物部分と比べて面積で約二倍、経済的価値では約一〇ないし二〇倍であるから、建物の全体的評価からすればその所有権は増改築工事をした庄吉が取得したものというべきである。
(三) 控訴人らは、庄吉の死後、同人の相続人らから本件建物部分の所有権の贈与を受けた。
2 請求原因2及び3の各事実は認める。
3 請求原因4の事実のうち本件建物が朽廃していることは否認する。
4 請求原因6の事実のうち亀蔵がもと本件土地を所有していたことは認める。
5 請求原因7の事実は認める。
6 請求原因8の事実は否認する。
7 請求原因10の事実は認める。
三 控訴人らの抗弁
(主位的請求に対し)
1(一) 庄吉は被控訴人から昭和三九年一月一七日、本件建物部分を賃料一か月金一五、〇〇〇円の約定で賃借した。
(二) 庄吉は昭和四四年一月一九日死亡し、その妻である訴外渡邊エツコ、子である訴外渡邊セツ子、同河本ユキ子、同奥京子、同渡邊年明及び同渡邊雄鐵が庄吉を相続し、右共同相続人らが本件建物部分の賃借権を取得した。
(三) 控訴人山崎あい子は庄吉の内縁の妻として、控訴人渡邊捷吾は庄吉の事実上の養子として、右庄吉の共同相続人らが相続により取得した本件建物部分の賃借権を援用する。すなわち、
(1) 庄吉は大正年代からクリーニング業に従事していた者で、妻エツコとの間に長女セツ子、次女ユキ子、長男圓平(昭和六年死亡)、次男忠男(昭和一三年死亡)、三女京子、三男年明、四男雄鐵の七人の子をもうけたが、昭和一五、六年ころから妻子を大阪に残して控訴人あい子と東京で同棲を始め、一時北品川一丁目一〇九番地の借地上に家屋を所有してクリーニング業を営んでいたが、昭和二八年からは本件建物部分においてクリーニング店を開業し、控訴人あい子はこれを助けて実質上の夫婦として生活していたものである。
(2) 庄吉は、昭和三一年には六〇才を迎え、自己の営業の将来や老後に不安を感じ、昭和三三、四年ころから、妹の吉川キサ及びその夫である吉川末吉らに対し、弟陸朗の子で幼時からよく往来のあつた甥の控訴人捷吾を養子に迎えたい旨相談をもちかけ、右末吉の死亡後も右キサや陸朗が控訴人捷吾と折衝を重ねた末、近くクリーニング業法の改正により試験によるクリーニング師の資格の取得が必要となるが、庄吉は老令であつて資格をとる力がなく、営業継続が困難となるかもしれないとの事情も手伝つて、漸く養子縁組の話がまとまり、昭和三五年一二月から控訴人捷吾が跡継ぎとして庄吉の家に同居してクリーニング業の見習を始め、昭和三七年にはクリーニング師の免許をとり、以後東京都に対する屈出も控訴人捷吾名義として、庄吉とともにクリーニング営業を行ない、老令や高血圧症のため次第に仕事ができなくなつた庄吉の生活の面倒を見るようになり、庄吉の妻子との関係を慮つたことや、もともと同姓であることからあえて戸籍上その旨の届出をするまでもないとして養子縁組の届出はしていなかつたものの、すでに両者は事実上の養親子関係に入つていたもので、昭和四四年一月庄吉死亡後も、控訴人捷吾が喪主としてその葬儀を執り行なう等親族らとの関係でも、控訴人捷吾は完全に庄吉の養子として扱われていた。
なお、昭和四四月庄吉の長女セツ子が庄吉に会いに来て初めて同人の死を知り、妻エツコも同年中に上京墓参したので、控訴人捷吾はエツコを大阪に送るとともに、庄吉の妻子全員に会つたが、その際同人らには、控訴人捷吾が庄吉の遺産を一切処理することに異存はなかつた。
(予備的各請求に対し)
2(一) 庄吉は亀蔵から昭和二八年ころ、本件土地部分を普通建物所有の目的で、賃料一か月三、〇〇〇円、期間の定めなく賃借した。
(二) 抗弁第1項(二)で述べたとおり、庄吉の相続人らが本件土地部分の賃借権を相続により取得した。
(三) 抗弁第1項(三)で述べたとおり、控訴人あい子は庄吉の内縁の妻として、控訴人捷吾は庄吉の事実上の養子として、右庄吉の共同相続人らが取得した本件土地部分の借地権を援用する。
四 抗弁に対する被控訴人の認否
1 抗弁1(一)の事実は認める。同(二)のうち庄吉が昭和四四年一月一九日死亡し、控訴人ら主張の六人が共同相続した事実は認める。同(三)のうち控訴人らが庄吉の内縁の妻及び事実上の養子であることは否認し、その余の事実は不知。
2 抗弁2(一)の事実は否認する。
五 被控訴人の再抗弁(抗弁1に対し)
本件建物部分は昭和四九年三月一八日当時すでに二階の外板は損傷甚だしく、外れて落ち掛かり、土台もなく、柱、板壁、屋根、床、天井、梁、根太等建物全体が腐蝕損傷し、全体としてその経済的効用は失われ、朽廃していたものであつて、遅くも昭和四九年三月一八日までに本件建物部分の賃貸借契約は目的物たる建物が朽廃し、その効用を失つたことにより当然に終了した。
六 再抗弁に対する控訴人らの認否
否認する。
第三証拠<省略>
理由
一 本件建物所有権の帰属
1 被控訴人主張のとおりの写真であることに争いのない甲第一一号証の一ないし三、いずれも原審証人平田順三の証言により真正に成立したと認める乙第一号証の一ないし五、同第二号証の一ないし三、原審証人石川貞次郎、同本川好江、原審及び当審証人冨川貞治、同平田順三の各証言(但し、原審証人石川貞次郎の証言のうち後記措信しない部分を除く。)、原審における控訴人山崎あい子本人尋問の結果、原審及び当審(第一回)における被控訴人本人尋問の結果(但し、原審における被控訴人本人尋問の結果のうち後記措信しない部分を除く。)、当審における控訴人渡邊捷吾本人尋問の結果に弁論の全趣旨を総合すれば、次の事実を認めることができる。
(一) 戦前、亀蔵は妻はつと共に本件土地上の二階建家屋に住んでいたが、昭和二〇年五月ころ空襲にあつて右家屋を焼失し、昭和二二年ころ、本件土地上に古い材木を使用して木造平家建家屋(以下「旧建物」という。)を建てた(亀蔵が昭和二二年ころ本件土地上に古材を使用して建物を建てたことは当事者間に争いがない。)。右旧建物は間口(南北)二間、奥行(東西)約五・五間の東西に細長い方形の建物であつて、間取りは東側から板間(約二・五坪)、廊下状板敷(一坪)、八畳間(四坪)、叩き・板敷のある出入口部分(一・五坪)、押入・便所となつていて、建坪約九・七五坪の建物であつた。
(二) 被控訴人は右旧建物に父亀蔵及び母はつと共に住み、昭和二二年ころ婚姻後も夫と共に旧建物東側板間で生活していたが、昭和二五年長女久恵が生まれたころ右旧建物を出て、亀蔵夫婦と別居するようになり、以後、亀蔵は右東側の板間を他人に賃貸して、その賃料を生活費にあてていた。
(三) 庄吉は本件土地の北側にあたる東京都品川区北品川一丁目一〇九番地所在の建物で生活していたが、同所が京浜急行電鉄株式会社の線路敷地となるため、移転場所を捜していたところ、親しくしていた亀蔵から同人方に移つて来るよう勧められて、同所でクリーニング店を開くことに決め、亀蔵の承諾を得たうえで、自己の費用をもつて、昭和二七年六月ころ、亀蔵が建てた旧建物の東側の約二・五坪の板間部分を取り壊わし、右跡地とその東側公道との間にあつた約一・五坪の更地上に四坪の店舗の増築工事をした。右工事内容は、右二・五坪の旧建物部分を撤去し、旧建物の廊下状板敷(一坪)部分の既存の柱に新しい柱を添えて新店舗の柱としたほか、梁を補強したりして、増築された四坪の板敷店舗部分を旧建物の残存部分に接続させて、店舗兼仕事場として使用できるようにしたもので、右店舗東側の公道に面した部分に出入口が設けられたほか、旧建物の残存部分には手は加えられなかつた。
(四) 右工事から約一年後の昭和二八年八月ころ、庄吉は前同様亀蔵の承諾を得たうえ、その費用で、旧建物のうち八畳間に続く西側の出入口、押入及び便所等二・二五坪の部分を改築し、その西側の更地上に五・二五坪の木造平家建の増築をなし、右八畳間に続く西側には床をコンクリートで打つて三・五坪の洗濯場を作り、営業用の洗濯機と遠心分離式脱水機各一台を備えつけ、その西側には四畳半の部屋及び半坪の広さの玄関を設け、右洗濯場の西北隅と四畳半の部屋の東北隅にはそれぞれ四分の一坪程の板間を作つて、両者を連絡し、右板間の東側に隣接して洗濯場の一画に便所を設ける工事をなし、同建物は、旧建物の八畳の部屋(そのころ押入が造られて七畳間と改造された。)を中心に、東側店舗にも西側玄関にも通ずるものとされ、右増築された四畳半の部屋には亀蔵夫婦が入居し、洗濯場から東側店舗までの部分は庄吉が使用し、便所は両者で共同使用することになつた。
(五) 本件建物のうち二階部分は昭和二八年の増改築工事以降遅くも昭和三五年ころまでに建増しされ、また、本件建物の西側三畳間部分は、昭和三八年ころ、被控訴人が昭和二八年の増築工事で西側に建てられた玄関部分を取り壊わし、四畳半の部屋に接続して増築した。
以上の事実が認められ、原審証人石川貞次郎の証言及び原審における被控訴人本人尋問の結果のうち、右認定に反する部分はたやすく措信しがたく、他に右認定を左右するに足りる証拠はない。
2 なお、被控訴人は、亀蔵が昭和二二年ころ建てた建物は東側から店舗(六畳)、八畳の部屋、洗濯場(六畳)であり、さらに昭和二五年ころ亀蔵によつて、右建物の西側に四畳半と三畳の二部屋が増築されて、一棟の本件建物となつた旨主張し、原審証人石川貞次郎の証言中には右主張に副う部分もあるが、右証言は前記認定に供した前示各証拠に照らしたやすく措信できず、他に被控訴人の右主張を認めるに足りる証拠はない。
また、控訴人らは、昭和二七、八年ころ亀蔵と庄吉との間で、庄吉が旧建物を増改築した後の建物は庄吉の所有とする合意がなされた旨主張し、原審における控訴人あい子本人尋問の結果中には右主張に副う部分もあるが、右供述のみをもつてしてはいまだ控訴人らの右主張を認めるに足りず、他に控訴人ら主張の右事実を認めるに足りる証拠はない。
3 以上1に認定した事実によれば、庄吉が行なつた第一回目の増築工事は、亀蔵が建てた一棟の旧建物(約九・七五坪)の東側の一部二・五坪を取り壊わして四坪の店舗部分を増築したにすぎないものであり、右工事後の一棟の建物が全体として旧建物と同一性のない別個独立の建物になつたものと認められないことはもとより、右四坪の店舗増築部分も、その背後に接続する旧建物の居室、便所等と一体となつてはじめて店舗仕事場として利用し得る構造になつているのであるから、他の部分から独立した建物と認めることはできないものというべきである。
また、庄吉が行なつた第二回目の増改築工事は、第一回工事後の一棟の建物(建坪約一一・二五坪)の西側の一部二・二五坪を改築し、その西側に五・二五坪の増築工事をなし、建物の延面積を一六・五坪に増加させた工事であるが、その工事部分七・五坪のうち主要な工事は、約半分を占める洗濯場新設と四畳半の部屋の増築であつて、第一回工事による増築店舗及び旧建物の残存部分たる八畳間には変更は加えられていないから、いまだ一棟の建物の一部の増改築の域を超えるものではなく、右増改築工事後の建物が、全体として第一回工事後の建物の実質的全面的建直しとはいいがたいうえ、その構造に照らし明らかなとおり右増改築部分が他の部分と別個独立の建物となるものとも認めることはできない。
従つて、庄吉が行なつた右各工事による増改築部分はいずれも旧建物の構成部分として、附合により旧建物の所有者である亀蔵の所有に帰したものというべきであるし、また、本件建物の二階部分は、その建増工事をした者は詳らかではないが、本件建物の構成部分として、これに附合することは明らかであつて、その所有権は一階建物部分の所有者に属するものというべきであるから、右各増改築工事にかかわらず、本件建物の所有権は亀蔵にあつたものと認めるべきである。
4 しかして、亀蔵が昭和三〇年一〇月一二日死亡したこと、訴外小澤はつがその妻、被控訴人がその子であることは当事者間に争いがなく、いずれも成立に争いのない甲第一号証、同第六号証及び同第八号証並びに弁論の全趣旨によれば、被控訴人が相続により本件建物の所有権を単独で取得するに至つたことを認めることができ、これに反する証拠はない。
二 本件建物部分の賃借権
1 庄吉が昭和三九年一月一七日、被控訴人から本件建物部分を賃料一か月金一五、〇〇〇円の約定で賃借したこと、右庄吉が昭和四四年一月一九日死亡し、その妻である訴外渡邊エツコ、子である訴外渡邊セツ子、同河本ユキ子、同奥京子、同渡邊年明、同渡邊雄鐵が庄吉を共同相続したことは当事者間に争いがないから、右庄吉の共同相続人らは相続により本件建物部分の賃借権を取得したものと認めることができる。
2 いずれも成立に争いのない乙第五号証の二ないし七、乙第六ないし第八号証、乙第九号証の二、当審における控訴人渡邊捷吾本人尋問の結果により真正に成立したと認める乙第五号証の一、当審証人吉川嘉一の証言により真正に成立したと認める乙第九号証の一、原審証人本川好江及び当審証人吉川嘉一の各証言、原審における控訴人山崎あい子本人並びに原審及び当審における控訴人渡邊捷吾本人の各尋問の結果を総合すれば、次の事実を認めることができる。
(一) 庄吉は明治三〇年一二月三一日父圓蔵、母サクの五男として生まれ、昭和九年八月三〇日大阪市において訴外渡邊エツコ(旧姓小林)と婚姻届出をしたが、同女とはすでに大正末ころから内縁の夫婦関係にあつたもので、同女との間に、大正一四年一〇月三一日長女セツ子、昭和二年一〇月二四日次女ユキ子、昭和四年一〇月二四日長男圓平、昭和六年一〇月二一日次男忠男、昭和九年四月二一日三女京子、昭和一一年一月一日三男年明、昭和一六年二月九日四男雄鐵、昭和一八年一月三一日五男正五郎の八人の子が生まれたが、長男は昭和六年一月二二日に、次男は昭和一三年二月二七日にいずれも死亡した。
庄吉は郷里福島から上京し、クリーニング業の修業を積んだ後大阪に移り、昭和一八年ころまでは妻子と共に大阪市、尼崎市などで生活していたが、昭和一九年ころから妻子と別居して、控訴人あい子と同棲するようになり、その後、妻子を大阪に残したまま、控訴人あい子と一緒に東京に転居し、クリーニング業で生活をたて、昭和二七年ころから、前記認定の経緯により本件建物部分でクリーニング店を開くに至つたが、以来大阪に残した妻子とは、まつたく何らの往来、文通もなく、消息が断たれたままになつていた。その間にあつて、控訴人あい子は庄吉を助けて家業にはげみ、東京に住む庄吉の兄弟姉妹などの親族をはじめとして、地域社会からも庄吉の妻として受け入れられていた。
(二) 庄吉は、控訴人あい子との間には子供がなかつたため、昭和三〇年代に入り年令も六〇を過ぎるころから、老後のことを心配しはじめ、昭和三三、四年ころ東京に住む妹吉川キサの夫である吉川末吉に、別居以来消息のつかめない子供らの所在調査及び自己の営業の跡を継ぐ意思の有無の打診を依頼した結果、妻子の消息はつかめたものの、庄吉が控訴人あい子と一緒に生活していることもあつて、実子を跡継ぎとすることは望めないことが判明した。そのため、庄吉は、身内の者を養子として迎えたいと希望し、弟陸朗の二男で、当時高校生の控訴人捷吾が小学生のころからしばしば庄吉方に出入りし、庄吉らと親しくしていたことから、同控訴人を跡継ぎに迎えたい旨、右陸朗や控訴人捷吾に伝え、庄吉はじめ、右末吉、妹キサ、弟陸朗ら親族間で何回か話し合いがもたれたが、大学進学を奨めていた控訴人捷吾の兄の反対もあつて仲々話合がまとまらないでいたが、昭和三五年一一月末吉死亡後も右キサらが話を進め、またその頃、クリーニング業法の改正により、近くクリーニング店には国家試験を通つた有資格者一人を置くことが義務付けられることになつていたところ、年令的にも庄吉が右資格を取れる状態になかつたこともあつて、漸く控訴人捷吾を含め親族間での話合がまとまり、控訴人捷吾は、庄吉の跡継ぎとして昭和三五年一二月ころから庄吉、控訴人あい子の住む本件建物部分に移り、庄吉らと一緒に生活するようになつた。
(三) その際、大阪に住む庄吉の妻子との関係が未解決のまま残されていたこともあり、また、もともと庄吉と控訴人捷吾は同姓で届出による改氏の必要性が感じられなかつたこともあつて、養子縁組の届出はなされなかつたが、控訴人捷吾は高校通学中から庄吉を手伝い、高校を卒業してからは庄吉について本格的にクリーニングの技術を習得し、昭和三七年にはクリーニング師の免許を取つて、庄吉と共同してクリーニング店を経営するようになり、昭和四〇年ころからは老令と高血圧症で働けなくなつた庄吉の面倒をみ、入院費を負担して同人を入院させ、昭和四四年一月に庄吉が死亡したときは、その費用一切をもつて喪主としてその葬儀を執り行ない、また、庄吉の生前においては、庄吉の名代として結婚式、葬式等に参列し、その親族間においても庄吉の子として遇されていた。
(四) なお、庄吉の死後、しばらくしてこれを知つた同人の共同相続人である妻子一同は、右クリーニング営業をはじめ、庄吉の財産関係一切を控訴人捷吾が承継することに異議はない旨の意向を表明している。
以上の事実を認めることができ、右認定を左右するに足りる証拠はない。
3 以上2に認定した事実によれば、庄吉と控訴人あい子との関係はいわゆる重婚的内縁関係にあたるものであるところ、庄吉とその妻エツコが昭和一九年ころ別居し、事実上の離婚に立ち至るまでの間の事情は明らかではないが、昭和一九年ころに別居してから庄吉が死亡するまでの約二五、六年の間、全く消息も絶たれたままに右エツコとの間には事実上の離婚状態が永続しており、その間にあつて、復縁の可能性は全くなく、エツコとの法律婚は単に戸籍上にその形骸を止めているに過ぎない状態にあつたと認められ、他方、控訴人あい子は、本件建物部分を庄吉との夫婦共同生活の本拠とし、庄吉の家業を助けて公然的な共同生活を継続し、庄吉の親類関係や地域社会からも夫婦として容認され、その間には実質上の意義における夫婦共同生活体が成立していたものと認められるから、通常の内縁に準ずる法の保護を控訴人あい子に拒む理由はないというべきであつて、控訴人あい子は、庄吉の生存中は同人の家族共同体の一員として、被控訴人に対し、庄吉の有していた賃借権を援用して本件建物部分に居住する権利を対抗しえたものであり、庄吉の死後においても、前記認定のとおり、庄吉の共同相続人らが控訴人捷吾に対し、庄吉の遺産の承継を承認している事情の下にあつては、控訴人あい子が本件建物部分に居住することにも格別異議はないものと認めるべきであるから、右庄吉の共同相続人らが承継した本件建物部分の賃借権を援用して、被控訴人に対抗することができると解するのが相当である。また前記2に認定した事実によれば控訴人捷吾は、同人を庄吉の家業であるクリーニング業の後継者とするとともに、庄吉や控訴人あい子の老後を託する養子として迎えるとの関係者の話合のもとに、昭和三五年一二月ころから、庄吉らと一緒に住むようになり、以後、クリーニング師の免許を取得するとともに、庄吉の家業を継ぎ、庄吉とは周囲も認める事実上の父子関係にあつたもので、庄吉死亡の際も控訴人捷吾が喪主となつて葬儀を執り行ない、また、庄吉の共同相続人一同も控訴人捷吾が庄吉の跡を継いでクリーニング業を行ない、庄吉の遺産を承継することを承認していることが認められるのであるから、控訴人捷吾は、庄吉の事実上の養子として、庄吉の生存中は庄吉の家族共同体の一員として、被控訴人に対し、庄吉の有していた賃借権を援用して本件建物部分に居住する権利を対抗しえたものというべきであり、この法律関係は、庄吉が死亡し同人の共同相続人らが本件建物部分の賃借権を承継した後においても変わらないというべきであつて、控訴人捷吾は本件建物部分の居住につき右共同相続人らの賃借権を援用して被控訴人に対抗することができると解するのが相当である。
三 被控訴人の再抗弁について
本件建物は、前記認定のとおり、昭和二二年ころ亀蔵が古材を使用して建てた旧建物に、昭和二七年、昭和二八年の二回にわたつて増改築工事が施され、さらに二階部分も増築され、昭和三八年ころには西側の三畳間が増築されて現況に至つているものであり、建築以来すでに二〇年以上を経過しているものであつて、当審における被控訴人本人尋問の結果(第二回)により真正に成立したと認める甲第一七号証、原審及び当審(第二回)における被控訴人本人の各尋問の結果によれば、二階南側の外板の一部が外ずれ、屋根の亜鉛メツキ鋼板は相当に腐蝕が進み、また柱と梁との接合部分や立て付けにも弛みが生じ、外側板壁にも傷みが認められるうえ、前記洗濯場に設けられている脱水機による震動等の影響も加わり、本件建物全体の傷み具合は相当程度進行していると認められることは否めないところではあるが、当審における控訴人捷吾本人尋問の結果によれば、同控訴人は、現在においても本件建物部分においてクリーニング営業を継続しており、 本件建物部分を店舗兼居宅として使用することに格別の支障はないことが認められ、また、前掲甲第一一号証の一ないし三(本件建物の写真)によつても、本件建物がいつ崩壊するか判らぬ程の危険な状態にあるとは到底認められないのであつて、本件建物が朽廃状態にある旨の前掲甲第一七号証中の記載部分はたやすく措信できず、他に本件建物が全体としてその経済的効用が失なわれ、すでに朽廃したと断定するに足りる証拠はない。
従つて、被控訴人主張の、本件建物部分の賃貸借契約が目的物たる建物の朽廃により当然終了した旨の再抗弁は採用できない。
四 結び
以上の次第で、本件建物所有権に基づき、不法占拠を理由として、控訴人らに対し、本件建物部分の明渡と損害金(当審における請求の拡張部分を含む。)の支払を求める被控訴人の本訴主位的第一次請求は理由がないから失当としてこれを棄却すべきものである。なお、本訴予備的第二次及び第三次の各請求は、いずれも被控訴人において本件建物部分を所有していないことを前提とする申立であつて、被控訴人が本件建物部分を所有することは前記説示のとおりであるから、右各申立はその前提を欠き、理由がないというべきである。
よつて、これと判断を異にする原判決は不当であり、本件控訴は理由があるから、原判決を取消して被控訴人の従来の各請求及び当審において拡張された請求をいずれも棄却することとし、訴訟費用の負担については民事訴訟法九六条、八九条を適用して、主文のとおり判決する。
(裁判官 平田孝 落合威 桐ケ谷敬三)
(別紙) 目録
(土地)
一 東京都品川区北品川一丁目一〇六番の五
宅地(公簿上) 七三・二二平方メートル
(実測) 七七・三七平方メートル
二 右土地のうち、別紙土地図面の斜線部分
四九・八七平方メートル
(建物)
一 東京都品川区北品川一丁目一〇六番地所在
家屋番号 同町一〇六番の三
木造亜鉛メツキ鋼板葺
(公簿上) 平家建居宅
床面積 三三・〇五平方メートル
(現況) 二階建店舗兼居宅
床面積 一階 五八・五三平方メートル
二階 六・六一平方メートル
二 右建物のうち、別紙建物図面の斜線部分
一階 四〇・九八平方メートル
二階 六・六一平方メートル
(別紙) 土地図面、建物図面<省略>